少し、暗い話をします。海に生きた、飲んだくれオヤジの話です。
彼とは昔っからの知り合いで、嫁に逃げられてからは酒浸りだと聞いていましたが
それ以前にも大酒飲み大会なる物で優勝したりと、前々から飲んだくれだった様です。
その嫁さんが連れて行った一人息子と同じ年頃とあって、私は凄く可愛がって貰いました。
「俺の事をダディと呼んで良いぞ!」という言葉通り、時々は呼んでやりました。
ダディはお父さんというよりパパやパピィという感じ、何より赤ちゃん言葉なので少し恥ずかしいのです。
夜に出掛けようものなら「危ねェだろ!俺も着いてく!」と言って、私そっちのけでナンパに勤しんでいました。
まあ、何にせよ大事にしてくれていたし、知り合いも居ない海外の心細さをかなり救ってくれていました。
そんな飲んだくれで女好きな彼が、凄く輝いて見えるのが海の中です。
ウェットスーツにマスク(ゴーグルのでっかいの)にレギュレーター(空気を吸う為のシュコーッてやつ)
時々はフードも被ったりなんかして、顔なんて殆ど解りません。でも格好良いんです。
経験もあるのでとても頼れるし、普段の気の良いおっちゃんから一変、彼が海の男になる時です。
「格好良いね!凄くクールだよ!」そう言うと「そうだろ?俺を超人ハルクと呼べ!」と調子に乗ります。
陸に上がると、何時ものふざけたオヤジに戻り、しょっちゅう笑い合ってました。
自称ハルクは緑色では無いものの鍛え上げた体と長身、日に焼けた肌を駆使し、年甲斐も無く観光客を食いまくってたそうです。
「俺はヒーローだ!」が口癖の彼の部屋で見た家族写真には、お子さんの手にハルクのフィギアがしっかりと握られていて少し笑いました。
彼は間違いなく幼い我が子のヒーローだったのでしょう。そして私にとってもヒーローでした。
そんなハルクも年々横に成長して行っては、何時しか飛べない豚ならぬ潜れないトド辺りになってしまいました。
酒だけでなくコーラやポテトにドーナツも大好物で、ステーキなんて一キロは軽く平らげる人ですから。
いつも「日本人はそんなに小食なのか!?だからチビなんだ」と牛肉を口に突っ込んで来て大迷惑でした。
2m近くの欧米人と、平均身長を下回るアジア人を並べらないで欲しいです。
それでも「これから成長期なんだよ」とお返しに野菜を食わせてやりました。
まあ、努力も虚しく成るべくしてなった成人病の数々に癌やらなんやら。
それ自体は珍しくも無いみたいですが、彼にとって海に潜れないのはとても辛かった様です。
この場所を離れたくないと適切な治療もせず日がな一日、酒瓶片手に海を眺めていました。
金銭面によっても苦しかったみたいで、母国での保険なんて入ってませんし、其の国で直すには大変です。
てか治らないしね。なので、ほぼ放置。日本では考えられない事かもしれませんが、それこそ珍しくも無い事なんです。
その彼が、もうそろそろヤバイんじゃないかって連絡を受けて、急遽 彼の下へと飛びました。
彼はやはりポーチ(日本で言う縁側かな)で椅子に座っていました。しかも木馬の様にスイングするやつ。
ウイスキーの瓶を片手に海を眺めてる姿は、映画のワンシーンの様で少し格好良いとか思ったりします。
けれど、すぐに「この期に及んで酒かよ!」と瓶を引ったくりました。「カラだよ、持ってると落ち着くんだ」だそう。
微妙にアルコール臭がした気もしますが「今日は娘が遊びに来た特別な日だ」と言われると笑うしかありません。
一緒になって海を眺めて、何日も昔話をしました。私の子供の頃の事や、初めて潜った日の事。
息子の嫁にしたかった等と言い出し、「そういえば今、刑務所だった」の発言に驚かされました。
あんた息子の居所知らないんじゃなかったっけ?てか服役中かよ!!と。
色々疑問は浮かびましたが、こんな状態だからこそ念願叶ってやっと取れた連絡。
お互いがどんな状態だろうと、親子のコミニケーションに少し安心しました。
とっくに帰る期限は過ぎていましたが会社に連絡して怒鳴られ「新入社員のくせにやる気あんのか!クビだ!」と。
でも今時、珍しくも中卒の学歴無しな私が就職できたのも、ひとえに人脈や顔の広さ、コネのお陰でして、今回もコネコネパワーで安心です。
何より大事な恩師、私のヒーローと過ごす方が大事だと思ったので。
彼は海を眺めては、とっくに出来る体では無いのにダイビングがしたいと我が儘を言います。
そして「機材はある!ボートを出そう!お前だけでも泳げよ!」と、騒ぎ出しました。
私は渋々準備をし、ショップの店員さんに手伝って貰って彼をボートに乗せました。
私の大きかったダディは今でも充分大きいけれど、それでもとても小さく感じました。
逞しかったハルクの筋肉は衰え(脂肪は案外軽い)、私は成長して大きくなったんだなーと。
沖に出て機材をセッティングしたにも関わらず、ダイビングでは無くシュノーケリングに切り替えました。
一人で潜っても仕方ないし、何より彼が心配だったので。
「水温は?魚は居るか?今日は透明度も良いだろう」と、まるで自分が泳いでるかの様に楽しそう。
連れてきて良かったと思った矢先、巨体が小さなボートを傾けながら海に転がります。我慢できずに飛び込んだんです。
ワォ、ビッグウェーブ!なんてふざける暇も無く、駆けつけた(泳ぎつけた?)頃には彼の大笑い。
「最高に気持ちいいぞ!」とお腹をプカプカさせながら浮いていました。
仕方なく引っ張りながら浅瀬へと向かいますが、初めから其の作戦だったらしいオヤジは、その間すっかりご満悦。
必死に泳ぐ私に爆笑する姿は、病人だと忘れて海の彼方に流してやりたいくらいですが、「俺は海が好きだ」と言う言葉に思い留まりました。
それから毎日の様に海に出ては少し水に浸かり、数日後、静かに息を引き取りました。
無理をさせたかもしれないだとか、体の負担になったんじゃ無いかとか色々考えてしまいますが
彼の友人知人は口を揃えて「奴は好きな事して、娘に看取ってもらえて幸せな人生だった」と言います。
酒が大好きで、女が大好きで、海が大好きで故郷を離れてはこの島に来たおっさん。
一緒に連れてきた妻子には愛想を付かされてしまったけれど、島の人々には愛されていました。
たまに訪れる観光客にも、やっぱり親しまれて居た事と思います。
現に私はこの土地と、この飲んだくれが大好きでした。最後まで海に生きた、海を愛する、海の男でした。
そして私も…長期間休んでも職場に戻れて、安月給だろうと今の所は食うに困らないで
たまに外からお呼びが掛かって出稼ぎと言う名のバカンスを楽しめて、恵まれた幸せ者です。
決して裕福じゃ無くても家族円満じゃ無くても、例え日本で言う平均寿命を下回る生涯だとしても
もし、今ポックリ逝ったとしても私は幸せなんだなと思いました。ちょっと頭の可愛そうな子ではあるけど。
いやあ、長いね。長い独り言をどうもすいません。しかも若干、ポエマーか詩人にでもなりきっちゃってます。
独断と偏見とその場の気分で書き進めてみました。後から「うわ!自分、痛い奴だな」とか思うんだろうな。
あれだ!みんな、日本はとても豊かで恵まれた国なんだって事を憶えてて下さい。
国民の大半が教育を受けられて、医療も受けられて、職に就けて物を食べられるって凄いのよ。
だからイラッと来たら、死んだり人刺したりする前に、海に向かってバカヤロー!って叫んでみ。
きっと凄く恥ずかしいから。
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