宮城県、場所によってはやはり凄まじかったです。経験は無いけれど、本当に戦争後の様だと思ってしまいました。
津波により全てを持って行かれ平らな土地だったり、瓦礫の山だったり、土台や骨組みしか残っていなかったり。
そんな中にポツンと教科書や人形、写真なんかを見付ける度に悲しくなって、私が泣いたってどうしようも無いのに泣いてばかりいました。
でもグズグズ鼻を慣らしながら作業してると、先輩や現場監督の拳骨が落っこちてくるんですよ。いてえのよ、これが。
このまま海沿いの作業をしながら福島まで行きたい位でしたけど、福島での作業申請はかなり厳しくなっている様です。
とにかく今回、急遽作業メンバーに入れてくれた元職場の上司や、入れるよう協力してくれた先輩方に感謝です。
そして復興支援活動を終え東京に戻ってみると、普段からお世話になっている先輩夫婦に家族が増えていました。
嫁さんは妊娠してなかった筈…しかも元々その家庭には子供が居るんですけど、その子より大きいと来た。
どっから攫って来やがった!と詰め寄った所、うるせェ避難所からじゃボケが!と返り討ちに合いました。
これだからDQNは恐いんだぜ…まあ家族が増えるのは良い事よの。私の可愛い子分が増えた模様です。
さてさて、その家族に養子の手続きやらパスポート申請やらを済まして貰っている内に、私はチャイナへ来ていまして
野暮用を済ませ東南エイジアンに着きましたら、その家族を呼び寄せる算段です。ただし仕事の都合上旦那抜きで。
普段居候させて貰ってるお返しとばかりに、リゾート地で観光名所を連れ回し灼熱地獄に合わせてやろうと思います。
私は海外でも上司の家に転がり込んで上げ膳据え膳な訳ですが、その下のアパートが社宅みたいになってるので
一室タダ同然で借りて、奴等を無理やり押し込めてやる予定です。上司のご厚意を我が物顔で恩着せがましく語ってやるぜ!
私は本当に普段から周りの人達に助けられ生活して行けているので、これからも懲りずに周りを勝手に巻き込んでやろうと思います。
泊めてって言えば先輩は泊めてくれるし、協力してって言えば、今の職場も過去の職場も協力してくれます。
助けてって言えば、誰だって助けてくれるんです。これは別に、私に限った事だけでは無いと思います。まるでACCMの様ですがw
これを見ている人だって、周りが出来る限り助けてくれるだろうし、日本が助けてって言えば世界中が協力してくれる筈です。
後先考えず、今目の前で大変な思いをしている人達を助けて欲しい。それで後から世界的に立場が弱くなったって仕方ないじゃないか。
日本のトップが立場やプライドを気にしている内に状況は日々悪くなって、結果的にもっと立場が弱くなる気がします。
日本じゃお手上げだから世界よ助けてくれ!と言って技術者や科学者に力を借りて欲しい。以上、後半は、ただの独り言です。
独り言はチラシの裏にでも書いとけボケェと自分でも思いますが、チラシには書きません、反省もして居ません。
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